新作ビジュアルノベルゲーム『吸血天使のユニット戦線』開発中だよ!

ログ001「ゲームと企画書の話(Re)」

どうも、焼魚あまねです。

この度、当サークル『鯛焼ぷろじぇくと。』のオフィシャルWEBサイトを移設することとなりました。
それにともない、旧サイトに投稿していたゲーム開発ログについても同じく移設となるわけですが、過去の記事をそのままコピーして移設するのはどうなのか? ……と、思ったのです。

というわけで、今後しばらくは、過去のゲーム開発ログについて、現在の視点で見直したものを新たに投稿していくスタイルで進めていきたいと思います。
タイトルに『(Re)』とついたものは、そういった過去記事をリメイクしたものだとご理解ください。

というわけで、ここから本題です。

今回は「ゲームと企画書の話」です。

過去の私は、ゲーム制作における企画書の重要性について少し語っておりました。
内容はざっくりまとめると以下のような感じです。

  • 多人数のプロジェクトであれば、情報共有・目的統一のために企画書は必須
  • 一人でゲーム制作する場合でも、頭の中だけで工程を組み立てるのは困難なため、企画書は必要
  • 特に重要なのは、企画書内で定める「コンセプト」の部分

これに関しては、今の私でもある程度納得しています。

しかし、実際にゲーム制作を進めていく中で感じたのは、これはあくまで理想論であるということです。

では、現在の私の見解を述べていくことにします。
そのためには、まず前提条件について話さなくてはなりません。

上記にある「多人数のプロジェクトであれば、情報共有・目的統一のために企画書は必須」は、もちろん多人数というか複数人でゲーム開発を行う際の話です。そして、これに関しては問答無用でその通り。
企画書は必要不可欠だと思います。
容易に想像できると思いますが、役割分担をしてゲーム制作を行い、各工程を他者に引き継ぐ。これが円滑に出来なくては、無駄な作業が増え、方向が定まらず、永遠にゲームは完成しません。
まあ、私は複数人でゲームを作ったことがないので、もしかすると例外があるかもしれませんが、仕事などでも共通の認識なしには目標にたどり着けないのです。

さて、当の私の場合はどうでしょう?
私は一人でビジュアルノベルゲームを制作しています。

この場合においても、過去の私は企画書の必要性を叫んでいました。
ですが、やはり理想論なのです。
完璧な企画書を用意できるのであれば、それに越したことはありません。
しかし、実際のところかなりの確率で企画書通りには行かないのです。

特にタイムスケジュール。
いつ頃までにどこ工程を終わらせるか。
ゲームの完成はいつ頃か、など。

焼魚あまね
焼魚あまね

正直分かりませんよ……。

ということです。
それに、内容だって作っていく中でどんどん変更が必要になってきます。
いわゆる仕様変更というものですね。

ゆえに、企画書については、その重要性を理解しながらも、破綻する・定まらないことを前提として考えるべき、という考えに至っています。

求める品質の作品を完成させることが目的なので、その企画書に手間をかけすぎるくらいなら、手を動かして行動した方が良いのではないかと。
ゲーム制作の場合、実際に作り出して分かる部分も多々あるのです。
ゆえに、バグの修正という、上手くいかないことを前提とした工程もあるのかと。

これは、あくまで個人制作の場合であり、企画書不要論ではないのであしからず。
とりあえず企画書に類似するようなものは最初の段階で作っておかないといけません。

それから、今更ですが商業作品については、必須かつそれなりの品質を求められると思います。
これも経験がないので推測の域を出ませんが、お金が動くプロジェクトとなるので、かなりきっちりとした企画書を必要とされるでしょうし、この企画書の段階で、ゲーム開発を進めるか否かを決めるのではないでしょうか?

ですからこの「企画書」というもの自体にも結構幅があり、一概にこれが企画書です、と言えるものではないと思います。

なんだか色々と脱線してしまっている気がしますが、結局何が言いたいかといいますと、

  • 企画書は必要(あらゆるゲーム開発において)
  • ただし、破綻や変更は当たり前にあると考える(柔軟性を持たせる)

ということなのです。

そして、忘れてはいけないのが「コンセプト」です。

企画書に盛り込む項目は千差万別だと思いますが、絶対になくてはならない項目というのは存在すると思います。
例えばタイトルとかジャンルとか。

その中でも、中核を担うのがコンセプトなのではないかと思います。

ここで言うコンセプトとは、ゲームが何をプレイヤーに届けたいのかという点です。

ゲーム制作を始めると、序盤はゲームを作るということ自体を楽しもうとします。
もちろん、それで良いと思うのです。
それに、ただ作りたいだけなのであれば何も考える必要はありません。
しかし、それを公開し、遊んでもらうことを目的とするのであれば、そうもいきません。

必ず表現したいもの、届けたいもの、そのテーマなどがあると思います。
それらをまとめたものがコンセプトかと。
例えば、ホラーゲームを作るにしても、「単に恐怖を感じて欲しい」「ブラックコメディ要素を楽しんで欲しい」「恐怖からの解放を楽しんで欲しい」など、様々な方向性があると思うのです。
これらを定めていないと、作りやすいもの、作っていて楽しいもの、偶然出来上がったものなどに流されてしまい、本来作りたいものから離れてしまう可能性があるのです。

ではコンセプトとはどんなものか?
これはあくまで僕の考え方ですが、その作品を表すことの出来る短い言葉であると思います。

そして、僕はコンセプトについてはいくつかのパーツに分けると良いのではないかと考えます。

一つは、表現したいものをちりばめた短めの文章。
一つは、作品を明確に表現する単語(複数でも可)。
そして、これらを作品にどう組み込むかといった指示。

これらをまとめて、コンセプトとしてみてはどうかと思うのです。

例えば、私が今制作しているビジュアルノベルゲーム『吸血天使のユニット戦線』であれば、

「引きこもりで中二病な少年と超常的な世界の邂逅、そこから始まる成長録」を表現したゲームであり、
「希望」「可能性」「世界」「善悪」などがキーワードとなり、
主に非現実的な展開でありながら、部分的に現実での考え方にもリンクしそうな表現を盛り込み、主人公・赤魔ヶ原エリオルへを中心としたキャラクター達への魅力へと昇華させていく。

といった感じです。

正直、「テーマ」と「コンセプト」をセットにしてしまっている部分もあるのですが、完全に切り離せるものでもないと思うので、こんなまとめ方をしております。
コンセプトの考え方に関しては、ネット上や書籍などで幅広く扱っていると思うので、詳しく知りたい方、自分の納得のいく考え方を模索したい方などは、そちらで調べてみると良いかと。

というわけで、今回のテーマは「ゲームと企画書」だったわけですが、終盤はその中身である「コンセプト」の話をメインにさせていただきました。

ゲームは制作側がどのように作ろうとも、プレイヤーが好きに遊べば良いと思っています(あくまで、常識の範囲内で)。
しかし、制作者側は「このように楽しんで欲しい」という意図が少なからずあるわけで、その意図を自然とプレイヤーに提示する上でも、こういったコンセプトは必要なのかなと思うのです。

作りたいものが作れてしまえば、方法など自由なのですが、企画書やその中にあるコンセプトが定まっていれば、よい良いゲームが作りやすいのではないかと。

自信への教訓を込めて、語ってみました。
ゲームを制作するどこかの誰かの一助となれば嬉しいです。

それではまた次回。
またゲーム制作について何か語りましょう。

焼魚あまね
焼魚あまね

今後もこんなスタンスでお届けしていきますので、どうぞよろしくお願いします。